・若葉祭とは

『若葉祭』は、毎年4月8日に近い日曜日とその前日に行われる、牛久保八幡社の例大祭です。


天王社にある獅子頭を八幡社に奉納する神輿渡御の行列が主体であり、

土曜の宵祭にお迎えして、日曜の本祭にお送りします。

行列に参加する氏子は、上若組・西若組・神組・笹若組の四組で、
各組は、組を象徴するダシを先頭に立て、お車等が従います。

 

そして日曜の本祭の最後、夜8時30分頃から八幡社前にて、

クライマックスといえる、四組による「三ツ車」を行います。

 


『若葉祭』の起源は、永正2(1505)年4月8日、一色城(旧牛久保城)主・牧野成時(古白)が、

氏神・若宮殿(現牛久保八幡社)に参拝し、
柏葉に御酒を献じ、連歌の発句を短冊に認めて若葉に結びました。
その折、駿河の大主・今川氏親の使者が来て、今橋に城を築くことを命ぜられ(後の吉田城)、

成時は、これを名誉に思い、この日を祭礼と定め、

以降、4月8日に氏神・若宮殿に連歌を献じるようになったと言われています。

しばらくして、成時によって始められた『若葉祭』は中断されてしまいます。

中断されていた『若葉祭』が復活するのは、

牧野氏が関東に移った天正18(1590)年から百年近く経った貞享3(1686)年のことです。

牛久保八幡社々伝』は、「この年の四月八日、長山村熊野権現(下長山熊野神社)から獅子頭の迎送始まる」と書き記しています。
そして、宝永2(1705)年に神輿が完成し、宝永5(1708)年には「笹踊」が始まりました。

その後、「神兒舞」「隠れ太鼓」等が始まり、変遷を重ね、現在に至っています。


『うなごうじ祭』は『若葉祭』の俗称であり

「うなごうじ」とは「尾長蛆」の変化した語で、笹踊の囃子方「ヤンヨー神」が笹踊の囃子にのって所かまわず「うじ虫」のように寝転がる様子から付けられたと言われていますが、

定かではありません。
  
歴代の牛久保領主は、領民をことのほか大切にし、
時に領民の苦労をねぎらうため、城内に召し酒食をふるまい、
領民たちは、その酒に深酔いしまっすぐ歩けず、ごろごろ転がりながら助け合って帰ったと伝えられます。
その時の喜びを神事に盛りこみ、善政を忘れない領民のこころを今に伝えていると言う伝説があります。


平成21(2009)年に、愛知県無形民俗文化財に指定されました。