獅子頭奉迎と東三河平野部の男児のミコについて(柴田晴廣)

 牛久保の若葉祭の紹介では、その祭事の中心は「獅子頭の奉迎」にあるとされる。

 実は祭事の中心が「獅子頭の奉迎」である祭礼は、東三河平野部では珍しいものではない。

 たとえば、幕府祐筆の屋代弘賢(17581841)が吉田藩士・中山美石(17751843)に宛てた「風俗問状」に中山が応えた「風俗問状答」(文政141817)年成立)には、「からかひの祭」(国指定重要無形民俗文化財・豊橋の鬼祭り)の様子が記され、「カラカヒ終れば、神輿渡御也。神輿は他の神社のとはさま異にて、いと舊き獅子頭のみなり。聊の彩等なく古風に不器用なる物也」と述べている。

 また、下地の山本貞晨(1775頃~1821)が文化3(1806)年頃に著した『三河國吉田名蹤綜録』には、吉田の祇園祭の「獅子頭の奉戴」の様子が絵図とともに記されている。そのほか、菟足神社の風祭、篠束神社の祭礼、豊川進雄神社の祭礼の神幸にも獅子頭が随伴する。

 さらにこれらとは趣が異なるが、海中渡御で有名な三谷祭でも、試楽(宵祭)に西新屋の吹上神明社の「御上(いんきょ)神楽」と呼ばれる獅子頭が八剱神社に一泊し、吹上神明社に還っていく。

 このように東三河平野部を代表する祭礼の多くが、神幸の行列に獅子頭が随伴している。

 私は、この淵源が『今昔物語』に記される風祭の「猪犠」にあるのではないかと考えている。

 

 このように若葉祭の祭事の中心は「獅子頭の奉迎」にあるとされるが、それ以上に重要な役割を果たすのが「神兒(みこ)」だ。

 「神兒」は神兒組(裏町)の少年から選ばれ、神兒車に乗り、神幸に随伴し、要所要所で神兒舞を奉納する。

 実はこの男児のミコ、笹踊、隠れ太鼓とともに、東三河平野部ではポピュラーなものだ。

 たとえば豊橋の鬼祭りでは、神楽児と呼ばれる男児のミコが舞を奉納するし、三谷祭の神子、赤坂、御油の御子も男児だ。

 そのほか、上長山若宮八幡社の祭礼や二川八幡社の祭礼などでも男児のミコが登場する。

 私は若葉祭の祭事の中心といわれる「獅子頭の奉迎」の淵源は、『今昔物語』の風祭の「猪犠」にあるのではないかと、先に述べた。

 

 となれば、東三河平野部の男児のミコ、かつての諏訪の「御頭祭」の「御神(おこう)」と呼ばれた男児のミコとの関係を考えたくなる。