・「笹踊」の起源と朝鮮通信使(柴田晴廣)

「笹踊」は「ささおどり」と読む。

字面だけではわからないが、地元では、「おどり」の「お」にアクセントがくるのではなく、平板で発音される。

少し古い資料であるが、愛知県教育委員会発行『愛知の民俗芸能』、サブタイトル「昭和61~63年度愛知県民俗芸能総合調査報告書」(79P)には、
笹踊り これは三河特有の太鼓ばやしである。(中略)豊川流域では牛頭天王を祀るところが多く、天王を祀る殆どの神社に笹踊りが伝承されている。笹踊りは大太鼓一人、小太鼓二人の三人が襟元に笹の小枝をさして踊る」 とある。


 『愛知の民俗芸能』は、「これは三河特有の太鼓ばやしである」と述べているが、より正確には「東三河平野部に特有の太鼓ばやし」というべきであろう。
同書は「豊川流域では牛頭天王を祀るところが多く、天王を祀る殆どの神社に笹踊りが伝承されている」と記しているが、豊川下流域は天王社の密集地域であり、その「殆どの神社に笹踊りが伝承されている」となれば、100箇所は下らないだろう。ところが実際には19箇所(ほか東三河の影響を受けたと可能性が高い「笹踊」(一般的な発音と同様に「お」にアクセントがくる)という名の芸能が西三河の旧額田町石原に伝承されている)しか行われておらず、しかもその中の半数は天王社でもない。

 さらに同書は「襟元に笹の小枝をさして踊る」とも述べるが、もちろん「襟元に笹の小枝などさして踊る」ものではないし、笹を持って踊るわけでもない。

 では何ゆえ、「笹踊」の名称で呼ばれるのであろう。しかも上述のように地元では平板で発音される。

 また「笹踊」は「大太鼓一人、小太鼓二人の三人」で踊られるが、牛久保や大木のように終始小太鼓二人がシンメトリーの動きをするところもあれば、前進するときの一部でシンメトリーの動きしかしないところもある。さらに豊川や御馬のように上半身の振りは異なるものの、下半身の動きは三人とも同じといったところもあり、振りが一様ではない。

 共通点といえば、踊り手が三人で唐子衣装に笠を冠り、胸に太鼓を付けるといったところだ。

 

 その濫觴は吉田天王社の祇園祭で、始められたのは17世紀後半。
始められた時期とそのいでたち、さらには笹を持って踊るわけでもないのに「ささおどり」と呼ばれ、しかも平板で発音されることを考えれば、
朝鮮通信使の一行をみて、吉田が17世紀後半、少し遅れて牛久保、三谷が18世紀前半にそれぞれ独自に始め、その名称は韓国・朝鮮語で「三人戯」の意の「ses saram nori 」が訛ったものと考えるのが妥当だろう。
なお三谷では「くぐり太鼓」と呼んでいるが、おそらくこれは「高句麗太鼓」が訛ったものだろう。